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シェイクスピアの謎17 本当の作者候補 者 オックスフォード伯

シェイクスピアの謎17 本当の作者候補 者 オックスフォード伯

1550 00歳:4月12日誕生
1558 08歳:クイーンズカレッジに学ぶ
1562 12歳:父親が死亡。エドワードは遺産と、式部長官の称号を相続する。サー・ウィリアム・セシルの被後見人になり、ストランド街にあるセシルの屋敷に下宿。叔父のアーサー・ギールディングから個人指導をうける。ほどなく母親はサー・チャールズ・ティレルと結婚

1563 13歳:ケンブリッジ大学セントジョンズカレッジで学位を取得。

1567 17歳:グレイズイン法学院に入学を許可され、法律を学ぶ。セシル・ハウスで奉公人を殺害する。セシルはエドワードのすぐかっとなる性分と放縦な行動を名嘆いたが、法の処罰からは保護した。どの後エリザベス女王の寵臣となる

1568 18歳:母親が入院。陸軍へ入隊するための許可を女王から拒否される。

1570 20歳:サセックス伯のもとで、カトリック貴族を討伐するスコットランド遠征に参加

1571 21歳:ウェストミンスターにおいて、女王の御前で馬上槍試合を演じ、名声を高める。アン・セシルと結婚、彼女の父親、ウィリアム・セシルはこれを機にバーリー男爵位を授かる

1572 22歳:従兄弟のノーフォーク公の助命をエリザベス女王とバーリー男爵に嘆願するが、成功せず。ノーフォークは反逆罪で処刑された。海軍へ入隊する許可を女王から拒否される

1573 23歳:
1574 24歳:許可をとらず出国し、フランドル地方を旅行。女王の手先によって連れ戻される。

1575 25歳:旅行許可を獲得。パリ、ストランドプール、パドヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェ、シチリアを訪れる。イタリアの流儀やファッションを身につける。長女エリザベス生まれる。他の者の子ではないかという噂が広がる。

1576 26歳:英国に呼び戻される。長女エリザベスが自分の娘ではないといううわさを耳にし、妻をすてる。バーリー一家と喧嘩になる。宮廷生活にあき、文学関係者、演劇関係者との親交を求める。

1579 29歳:エリザベス女王はフランス国王の弟、アンジュー公と結婚するように申込を受けたが、エドワード・ド・ヴィアはこの件でカトリック派につき、サー・フィリップ・シドニーらと対立する。シドニーと激しい喧嘩となる。女王が仲裁し2人の決闘を禁止する。

1580 30歳:オックスフォード伯の劇団が地方を巡業。ストランドフォード・アポン・エイボン・などを歴訪。その後でロンドン公演。(〜84)

1581 31歳:カトリック派と結託していたことを女王に告白し、また、愛人との間に子供をつくり3人ともしばらくロンドン塔に幽閉される。オックスフォードは釈放されるが、自宅軟禁になる。妻と和解。のち、男子1人(1583年に生まれて死亡)女子3人が生まれる。そのうち1人は幼児期に死亡

1582 32歳:トマス・ナイヴェトと決闘あるいは喧嘩で負傷する。相手はエドワードの愛人、アン・ヴァヴァソアの叔父にあたる

1583 33歳:女王の赦しを受ける。バーリーと和解するが、領地を失う。

1586 36歳:スコットランド女王メアリーを裁く裁判に加担、終生年金千ポンドを政府の特別基金から支給される。

1588 38歳:スペイン無敵艦隊と戦うために、船を儀装し、乗り組む。戦勝記念会では女王に従う。妻が死亡。末娘を出産1年

1591 41歳:女王の侍女、エリザベス・トランタムと結婚。2年後、跡取り息子ヘンリーが生まれる。以後、国事犯の裁判などに参加したとき以外の消息はあまり知られていない。文学や演劇を支援し、ある劇団の財政援助を行う。娘はフィリップ・ハーバートと結婚。彼はシャイクスピア・フォリオの献呈を受けた「並ぶ者なき2人」兄弟の弟

1596 46歳:ハックニーにあるキングス・プレイスを妻が購入。おそらくオックスフォード伯は死ぬまでこの家で暮したものと思われる。

1603 53歳:ジェームス1世の戴冠式の司会をつとめ。

1604 54歳:疫病にかかりハックニーで死亡。教区教会に埋葬される。葬儀は行わず、遺言も書かなかった。


posted at 23:47:41 on 06/08/07 by mapchart - Category: Main

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